2012年3月13日火曜日

必要

最近、ひとつのミスを発端に、仕事が重くなってきて、何をどうすればよいのか迷うことがあった。看護理論では、よく言われることであるが、患者のニードを満たさなければならない。第一のニードとして、とにもかくにも患者の安全を守り、治療を維持するということには、当たり前のように見えて、様々なリスクが含まれているということを実感する毎日だ。しんどいが、ここを乗り越えることで、ひとつ成長をできるような気がする。数年後には地域の精神保健に携わる自分にとっては、いい経験ができていると思う。患者とのやり取りのなかで、救われることもあった。頂いた手紙には自分は前を向いて生きていく、と記されてあった。

しかしながら、只今の職場環境では、人間への誠実さを欠いている思うことが多い。それは結局、看護者-患者関係が、患者を見下すヒエラルキーに収束してしまう からで、だからこそ患者から人間に戻るためにこそ、精神科医療の地域移行があるべきだ。決して、入院コスト削減のために、患者は地域で暮らすのではない。人間として暮らすには、地域の共同体で暮らす必要があるからだ。しかし、原発事故で起こったディアスポラは、共同体とは何かということを再構築する、あるいは共に暮らすのは何のためなのか?ということ問いなおすことを要求している。離散された家族にとっては切実な問題だ。

そもそも、長い間、何十年も精神疾患を持ち入院している患者には家族はいない。精神疾患を持つことで、離縁される人も多い。 人とのつながりが断たれて、一体どうやって暮らしていけるというのか、孤独死の事例がニュースで流れる度に、暗い気持ちで思う。助け合わないと人間は生きていけないという当たり前のことが、資本主義社会からは欠落していくのだろうか。究極的には、家族は、コンビニで買えばいいのか。金さえあれば。金さえあれば、放射能は降ってこないのだろうか。

まったく、愛のない社会である。

日常。かけがえのない日常。数十億人の暮らし。パキスタンの冬山を旅していた時、隣に乗り合わせた少年は、そっと毛布をかけてくれた。ほんとうに何気ない所作。ムスリムの旅人への優しさを垣間見た。差し出された、杏の美。手に染みついた労働、自然との格闘と共生。一滴の汗や血の重さは、地球上どこでも同価であるべきだろう。為替レートなんて、先進国の勝手な妄想やないか。

暮らしに必要なものは、もっとシンプルにしたい。今日は、いっそのこと鹿児島にでも移住しようかと友人と話していた。セルフビルドの家を建てて、離島や自然の近くで暮らしたら、もっと精神が豊かになるんじゃないだろうか。誰をも受け入れる、開かれた新たな共同体の可能性を求める。


2011年11月28日月曜日

思考放棄から思考蜂起へ

大阪の選挙が終わって思うことは、自治とは何かということだ。この問題は、大阪の選挙というひとつの現象のみならず、小泉「改革」からの、TPP加入に至るまでの新自由主義における、市民の政治への参画はいかにすべきかという問題を含んでいるように思う。結局、小泉の改革は、多大な自殺者の山を積み上げて終わっただけであり、経済的な問題は何ひとつ解決しないまま、なしくずしにTPPに参加すれば日本経済は回復するという楽観が広がっていることに恐怖を覚える。楽観とは、即ち思考放棄であり、今回の選挙にしても、ただ改革することのみを狂信する輩による新たな悲劇の幕開けになるという予感を禁じえない。

橋下氏の最大の問題は、大阪市民を見ていないことだ。彼の関心は自分の構想を以て国政に影響を及ぼしたいという欲望が丸見えで、大阪市民を人質に取ってでも国政を変えていきたいというモチベーションがある。端的に言って、260万人の多様な生活への眼差しを欠いている。単純に考えて、区を30万人単位に分割して再編すれば財政がうまくいくと言うのなら、同じく30万人規模の自治体と吹田市や豊中市だって財政的に素晴らしい状況にあるべきだ。しかし、現実はそうではないだろう。例えば、西成区には西成区に固有の問題がある。日雇い労働者、結核、生活保護など、大阪市や市民団体がそれなりの努力を払って取り組んできた問題だ。これを浪速区と合併したからと言って、何が一体解決するのか、甚だ疑問である。

選挙に行って、あとは任せきりにするのが民主主義ではなく、市民自身がどのような社会に暮らしたいかを考え、アイデアを練り、計画を実行していくのが自治というもんだろう。カジノを作れば経済が活性化され、韓国にならって追い込み教育をすれば、競争を乗り越えた出来のいい人間ができあがって、大阪の力が上がるというのか。チャラすぎて、笑っちまうわ。

もう少し地に足をつけた政策を、市民自身が提案して実行していくべきだ。

2011年7月25日月曜日

本当の言葉

仕事を始めると、時が経つのが早いもので、いつのまにか夏になってしまっていた。明るい青い空と入道雲を眺めていると旅心が動きだす。どこかキャンプにでも行きたくなる。

精神科で働き始めて、試行錯誤の毎日だ。あの対応がよかったのか、患者にとって安心できる治療的環境を提供できているのか、患者さんとの付き合いの中で、ふと立ち止まると考え込んでしまうことも多い。すぐに相談できる職場環境であるが、精神科の看護に定石の答えはない。精神疾患は、それぞれの人生を凝縮した結晶のようなものだと思う。ひとつの行いや、言葉かけで、単なる薬剤で、すぐに好転するものでもない。一言で言えば、生き治すことが、必要なのかもしれない。

最近のニュースに触れて、我々にはいろんな問題があり、福島には福島の、ノルウェーにはノルウェーの、中国には中国の問題がある。いい喩えか分からないが、神経性の摂食障害には、マス・メディアが提供するボディイメージの刷り込みが背景にある。まき散らされた美しさの価値観に巻き込まれ、自然な生物としての肉体を失っていく。福島には無謀と資本主義の末路としての放射能があり、ノルウェーには憎悪と民主主義からの逃避、中国には利潤追求と権力保守の欲望がある。来たるべき未来のための真実の探求、創造性は、葬り去られている。というか、逃げているだけだ。人生や努力や、対話から逃げ続けている。

昔、報道記者を志したことがあった。第4の権力であるマス・メディアで仕事をすれば、何かを変えれると思っていたからだ。きっとそれは世論を誘導して、操作性を発揮するということを暗に意味していたのかもしれない。当時、ある草の根で言論活動をしている人に酒を酌み交わしながら、静かに諌められたことがある。
「お前なあ。考えが甘いよ。 人間をなめすぎてるよ。大手の報道機関で働いたって何かが変わるわけねえだろ。本当の言葉というのはな、その現場で戦ってこそ、こぼれおちてくるものなんだ。当事者としてな、そこで戦ってな、周りを巻きこんで、葛藤してこそな、本物の物書きになれるんだ。」

今、新聞を読んでいても、どこにも、本当の言葉は転がっていない。政治家も、報道記者も、誰も当事者になろうともせず、逃げている奴ばかりが、ぺちゃくちゃ喋っている。空疎な、極めて空疎に、リアリティは断絶し続け、生命の重みを蔑ろにし、そして、結局は自己を破滅する。生き治しからは程遠いというよりも、逆のベクトルに向かい続けている。

 本当の物書きとは、こういう人のことをいう。
大野更紗『困ってるひと』
http://www.poplarbeech.com/komatteruhito/index.html
 彼女は語る。
”ひとは、なぜか生きる。
ひとは、なぜか、考えたり、悩んだり、好きになったり、嫌いになったり、理性的になったり、非理性的になったり、落ち込んだり、ハイになったり、死にたくなったり、生きたくなったりする。

なにがあっても。
悲観も、楽観もしない。
ただ、絶望は、しない。
あるこう。”

彼女の発病当初にあたる時期に、タイの難民キャンプを一緒に周ったことがある。キャンプから帰りの宿で話していて、印象的だったのは、「自分は、難民支援をやっているけど、先輩達みたいに自己犠牲をできるわけじゃない。やっぱり自分のことも守りたいし。」と自信なさげに呟いている時の顔だ。きっと、自分の身体が思い通りにならなくなっている過程で、いろいろ考えることがあったのだろう。あの状態で、熱と埃にまみれた難民キャンプに行くなんて、よっぽど根性が座っていると思うのだが。

先日、書籍となった『困ってるひと」を読んで、感慨ひとしおだった。自分が理想とする物書きの姿があった。活動家としての軌跡と、当事者性を獲得して、何よりも自分の人生を乗り越えて、結実した本当の言葉がある。きっと、多くの人と勇気が湧いてくる体験をシェアできることだろう。少し、羨ましく感じる。苦痛に置かれた本人にとっては、失礼な話だが、あの自信なさげな呟きが、懐かしくも感じる。今会えたなら、こう言いたい。「あなたは逃げなかった。あなたの葛藤からこぼれおちた言葉が、誰かを生かしているよ」と。

それぞれの現場で、こういう人が生まれてくることこそ、何かの変革の兆しではないか。最近、そういうことをよく考えている。未来を切り開くとは。

おれも、自分の人生で、美しいことばに到達したい。 逃げることなく、当事者となって。

2011年3月19日土曜日

Hereafter

地震と大津波が東日本を襲った。日本史上未曽有の被害をもたらした災害であり、原発事故がさらに追い打ちをかけ、現在進行形の危機である。NGO代表の話では、被災地に送る物資の絶対量自体が不足するだろうと言う。たんに、アクセスの問題もあるが、朝日新聞の報道では、避難者は40万人に上り、一日2食を提供するにも、毎日80万食を提供することになる。地元のローソンなどは、援助に物資を回しているので、ほとんど空っぽであった。企業自体の努力に敬意を表するが、一企業の体力がそれほど持つとも思えない。政府が食品産業から買い付けを行い、持続的な支援を可能にする体制を構築すべきだろう。

原発の事故の進展次第では、東日本から、西日本へと避難者は急増するだろう。現在、関西の自治体が数万人規模の受け入れ態勢を整えつつあるが、今でさえ、40万人が避難しているのだ。首都圏まで避難地域が拡大すれば、善意でホームステイを提供する人々の許容量をも超え、宿泊をする場所の数も不足することが予測される。利用可能な宿泊施設に関しても、公的な資金で確保する必要がある。この原発事故は、週単位では解決しない。原理的には、電源が復活し、冷却系が作動し、破損個所を修復、あるいは石棺などで防護する までのステップが必要だ。海水を注入した以上、また津波によるダメージで機器が再起動する確率は低くなっている。残念だが現在行われている、水注入作戦は焼け石に水のパフォーマンスにしか見えない。最悪の事態を想定しておいて、何ら損はない。地震がランダムに移動しているのにも関わらず、浜岡原発を通常運転する思考も理解できない。即時停止すべきだ。

医療関係者は厳しい判断を迫られている。厚労省が原発から30km圏内の患者移送を決定したが、一体どのように行うのか。数の少ないスタッフで出来ることは限られてくる。透析患者などは基本的に3日ごとに透析器につながる必要があるが、水も電力もカテーテルなどの物資がない中では透析器を回せない。人工呼吸器を使用している患者についても同様だ。予備のバッテリーにも限りがあるだろう。今のインフラと物資の欠損が続けば、患者を残酷にトリアージをすることになる。震災から1週間が経ち、おそらく、ギリギリのラインを越えつつある病院や医療施設が増えてくるだろう。

大阪にいる自分としては、宿泊場所としてホームステイを提供する、義援金を送るくらいのことしかできない。ただ、楽観はしている。なぜなら、世界の関心が日本に向けられているからだ。アフガニスタンはアメリカに空爆される前に、未曾有の干ばつに襲われていた。400万人が飢餓線上、100万人が餓死線上だと警告されたにも関わらず、世界の関心は一向にアフガニスタンには向かなかった。メディアは、仏像がタリバンによって、破壊されたことを報じただけだ。一説には、あれは雨乞いであったとも言われている。

アフガニスタンの民は、苦難に負けなかった。30年の戦争や天災で国土が荒れても、人々は力強く生き延びている。 だから、おれは、人間の強さを知っているつもりだ。どんなに辛い時でも、人間は笑い、協力し、友人の肩を抱き、苦しんでいる人々を歓待する。惜しみなく、食料を分ける。凍えている人に、毛布をかける。それが、気高き人間本来の姿だ。人々は助け合い、生き延びる。

 これからの日本の方向は、政治経済も、エネルギー政策の面でも転換点に入るだろう。汚染物質は簡単には消え去りはしない。脱原発の動きは本格化し、風力、太陽光、地熱による発電にシフトするしかない。地震多発国に原発は不要である。さらに外交面においても、核の平和利用等ありえないことを主張していかねばならない。そもそもが、おかしかったのである。世界で唯一の被爆国が、原発で被爆者を出すことになろうとは。我々の思考と行動は、一新されねばならない。

 最後に、失った人々のことを考える。肉親を亡くす程、つらいことはない。それは、自分の祖母と母をたてつづけに失った、あの経験から言えることだ。先日、『ヒアアフター』という映画を見た。津波で臨死体験をしたマリーと、死後の世界が見える霊能者ジョージ、双子の兄を交通事故で失ったマーカスの3人の人生が交錯する物語だ。来世など、おれは信じないが、母ならば、どうするかよく考える。娘を失って、ジョージに依頼する人も、同じような行為を行っているのではないかと思う。物語の中で、ジョージは本物の霊能者で、ジョージを通して死者と話をした生き残った者は、何かの答えを得て、人生を始め直す。ある人は、過去に囚われ、マリーは死後の世界に憑かれたように執筆をする。マーカスは、兄と話をするために、ジョージを訪れる。マーカスは、兄にさよならを告げ、ひとつ強くなる。登場人物たちは、死を見つめ、自分の人生を取り戻す。希望と再生の物語だった。

 死者は変わりはしない。心の中で死んだ母と話す時、自分の良心と勇気がゆっくりと強く湧くのを感じる。死者と対話することで、この世の輪郭が明確になる。

これから、希望と再生を始めるのは、おれたち生き延びた者だ。

2011年1月26日水曜日

人体は、人か、物か?

先日まで、京都で行われていた『人体の不思議展』が、物議を醸していた。インフォームド・コンセントの問題、死体の出所、プラスティネーションという技術を巡っての騒動が背景にあるようで、倫理的な問題を抱えているようだ。京都府警が捜査を始めた。
(http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110120ddm041040151000c.html)

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人体の不思議展:標本展示で京都府警が捜査

京都市勧業館みやこめっせで開催されている「人体の不思議展」(同展実行委員会主催)の人体標本が死体に当たり、特定場所以外での保存を規制する 死体解剖保存法に抵触する恐れがあるとして京都府警が捜査していることが19日、府警への取材で分かった。厚生労働省は展示の標本が死体に当たるとの見解 を示している。同展は遺体を特殊加工した標本など約170点を展示。同法は大学など以外で遺体を保存するには都道府県などの許可が必要と定めているが、京 都市に許可申請は出ていない。
同展は02年から全国35会場で開かれ約650万人が入場。京都展は12月4日に始まり、展示を問題視する京都府保険医協会などが12月、告発状を提出した。府警は受理していないが、厚労省へ照会するなど独自に捜査を進めている。
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この人体の不思議展は、高校生の頃だったか行ったことがある。人体がスライス状に輪切りにされており、喫煙を長期間した真黒な肺が展示されているのを鮮明に思い出す。列になっていた人の混雑も。ちょうど大学受験の頃で、医学部の学生に数学を教えてもらっていたのだが、人体の不思議展の話題になり「自分も行ったけど、あれって大丈夫なのか」というような話をした覚えがある。あの頃は、医学についての知識も、倫理という言葉も分からず、怖い物見たさやセンセーショナルな展示に違和感を覚えていたに過ぎないと思う。

たぶん、この問題の賛否の境目は、死体を人と見るか、物と見るかの境界ではないだろうか。臓器移植の問題にもつながるテーマだ。医学の特権性の問題でもある。死体を人だと思う人は、展示にも反対するだろうし、献体や臓器提供にも抵抗があるように思われる。死体を割り切って物だと思える人であれば、今回の展示について、人体の知識を広めるという目的があれば、認めるだろう。ダ・ヴィンチも墓を暴いて、死体のデッサンを描いたというし、医学の進歩には、こういう罰あたりの存在を欠くことができないのも事実だ。臓器提供することで、救える命があることも確実である。

今回の展示の問題は、さらに死に重みがなくなったということがあるんだろう。人体の知識を普及するのであれば、現在の技術があれば、3Dの映像で展示すればよいわけだし。もしかしたら、死体を見る機会がなくなったことが、怖いもの見たさの需要を増加しているのかもしれない。30年前に、病院で亡くなることが、在宅死よりも多くなった。先進国では、リアルな死というものを感じる場所が少なくなっている。

弔うということは、どういうことなのか。ガンジス河やネパールの寺院の死体焼き場で、ぼんやりと考えていたことがある。涙が出るほどのひどい煙と悪臭だった。バンコクの死体博物館では、様々な死に方をした遺体を映した写真があった。溺死、落雷に打たれた者、交通事故。青黒く膨れあがって、映されていた死は滑稽でもあった。自分は、どのような死に様を曝すのだろう。ビルマの革命運動への軍の弾圧。砲撃により頭蓋が飛び散った写真。路上を濡らす赤い血。この世で、たったひとつの身体。

 今思うのは、人間を、人間として存在させるものは、そこに降り注ぐ眼差しの力だ。眼差しは肉体に蓄積され、イメージを形作る。弔うということは、そのイメージを共有して、永遠のものにするということではないだろうか。

2010年11月25日木曜日

冷戦下の精神保健

 今月の半ばは、箕面の山を散策してきた。紅葉に差し掛かっており、人の混雑も、まだ本格的ではなく、また友人の案内で、美味しいカレー屋にも出あうことができて、とてもゆっくり過ごすことができた。持つべきものは友かなあといつも思う。この友人はシアトル出身だが、畳の部屋を借りて住んでいて、日本酒の一升瓶と、焼酎の瓶がゴロリと転がっていたら、まさかアメリカ人が住んでいると思わへんかな。シンカメという酒にハマっている。一口飲ませてもらったが、美味い酒だった。ちなみに以下のような場所に住んでるのではなく、ここに至る道沿いのボロいアパートに住んでいるのであるが、それでも大阪では、一番自然な山に近くて、いい場所だなあと遊びに行くたびに思う。


そして、先週末にはイタリアの精神保健の講演があった。 イタリアには一度行ってみたい。イタリアの自由な風に吹かれて暮らす、精神を病む人と語りあいたいと思う。脱施設運動とは、支配・被支配の関係を脱して、フラットな新しい関係を築くことだ。家族会、社会学者、精神科医の代表が来ていたが、きっと当事者も対等な位置に立っていることだろう。CASA MATTAというグループホームの見せ方も上手かったし、当事者ものびのびと暮らしているようで、何よりサルデーニャの空は美しかった。それに比べて、日本では、社会的入院を強いられる患者は、上のような家に住んでもいい自由を奪われている。憲法に保障されている当たり前の自由やと思うんやけど。

日本の精神障害者の歴史は暗い。閉じ込め政策のきっかけは、日米安保体制だと俺は思う。
>>1964(昭和39年)年3 月24日、
17歳の精神障害者がアメリカ駐日大使のライ
シャワー氏を、ナイフで刺し重症を負わせる
事件が起きた。おりしも、会期中の国会でこ
の事件が取り上げられ、当時の総理大臣池田
隼人氏は『こういう患者の野放しは文明国と
して恥ずかしい。急いで取り締まれるように
対処せよ』と指示した。そこで、精神衛生審
議会で検討することになった。>>

引用元:我が国における精神障害者処遇の歴史的変遷-法制度を中心に-藤 野 ヤヨイ http://lib.n-seiryo.ac.jp/kiyo/dkiyo/05pdf/D0513.pdf

人を刺すのは確かに悪いことだ。しかし全ての精神障害者が人を刺すわけじゃないだろう、というよりも、実際のところ、健常者よりも犯罪率は低い。しかし精神障害を持つ人は必ず自傷他害の恐れがあって、アメリカ大使は神聖不可侵の神様なんだろうか。全くもって、ちゃんちゃら可笑しい。どっちも、ただの一人の人間に過ぎない。しかし、この一つの事件が、措置入院という強制入院を強化する法改正の流れを作ってしまう。社会防衛に関しては、ほぼ病的な反応をしてしまう政治家と国民性が、隔離政策に拍車をかけてしまった。そして、病状は寛解に至ったにも関わらず、鉄格子の閉鎖病棟に何十年も不必要な入院を強いられている患者が、何人いるのだろう。これは、精神障害という見えない疾患で人間を差別する、日本のアパルトヘイトじゃないかと、俺は思う。人権侵害も甚だしい。そして、この傾向が、日本の精神保健の質を完全に落としてしまった。なぜなら、社会復帰を前提としなければ、積極的に治療をする必要がなくなるからだ。そして、退院はできるが、退院先のない患者が、日本には7万人もいると推計されている。7万枚の、措置あるいは医療保護入院の申請が行われているということでもある。まったく素晴らしい『文明国』であることだ。

この状況は、日本における外国人の状況と酷似している。オーバーステイの外国人や難民たちへの入国管理局の全件収容主義にも似たような歴史がある。戦後のSCAP/GHQと日本政府との交渉において、日本社会を防衛するために、朝鮮人の共産主義のシンパや危険分子を、ひとり残らず強制送還するような議論もされた。朝鮮半島では内戦が起こっているのにも関わらず、である。難民を保護するという発想は60年経った今でもほとんどなく、入国管理局が一番恐れているのは、北朝鮮崩壊時に大量の難民が押し寄せてくることだと思われる。これこそ先進国として恥ずかしい態度じゃないのか。

はっきり言えば、日本は、社会防衛思想に囚われた強迫神経症国家だ。この国の歴史や思想が、真に人間の存在と向き合ったことなどないのだ。ましてや、人間の自由に向き合ったこともないのだろう。

シドニーに住んでいたとき、韓国人の親友がいた。デパートか、どこかで買い物をしていて、エスカレ―タ―に乗りながら、北朝鮮の話題になったことがある。あいつは、米粒を掴むみたいな仕草をしながら、「北朝鮮は、ほんとにほんとに小さな国なんだ」と語っていた。その国と敵対するために、スパルタのクソみたいな徴兵訓練を受けた話も、よくしていた。

今、あいつが、どういう気持ちで、そのことを語っていたのか。深く、静かに思い直している。 冷戦は終わっていない。兵士は、精神障害者は、難民たちは、ひとりの人間に立ち帰るために、今ここで闘っているのだ。

2010年11月1日月曜日

道は見えるか

月一回程度でブログは更新しようと考えていたのだけど、9月と10月はあっという間に過ぎてしまった。卒業論文、就職活動や最後の実習などして、忙しかったということもある。季節もあっという間に、今年の秋を置き去り、夏から冬へと変わろうとしている。そして、今年で、自分の20代も終わる。ニーチェの永劫回帰ではないが、これまでの自分の人生を、もう一度繰り返してもよいと思う。悔いはない。

人生は短い。生まれてきたからには、好きなことをするべきだ。全ての不幸は、やりたくない仕事や作業を強制的にやらされることに由来すると思っている。それは生活のためであったり、職業選択の幅が、人種や、抱える身体的かつ精神的障害や、貧富の差によって規定されているからである。例えば、貧しいアメリカ人は、軍隊という安易な選択を決定するように仕掛けられている、あるいは、そのような状況に落とし込まれている。その渦中にあって、客観的に抜け道を見つけ出すということは、当人の視野だけでは難しい。ソーシャルワークが、このような状況で必要となる。その担い手が、家族であるか、地域のコミュニティであるか、パブリックな機関なのかは、今の社会資源の充足度に従えば、当人の運としか言いようがない。人生にプラスに影響する出来ごとや人に出会えるかどうかは、運だ。

それと、少しばかりの勇気。