2010年11月25日木曜日

冷戦下の精神保健

 今月の半ばは、箕面の山を散策してきた。紅葉に差し掛かっており、人の混雑も、まだ本格的ではなく、また友人の案内で、美味しいカレー屋にも出あうことができて、とてもゆっくり過ごすことができた。持つべきものは友かなあといつも思う。この友人はシアトル出身だが、畳の部屋を借りて住んでいて、日本酒の一升瓶と、焼酎の瓶がゴロリと転がっていたら、まさかアメリカ人が住んでいると思わへんかな。シンカメという酒にハマっている。一口飲ませてもらったが、美味い酒だった。ちなみに以下のような場所に住んでるのではなく、ここに至る道沿いのボロいアパートに住んでいるのであるが、それでも大阪では、一番自然な山に近くて、いい場所だなあと遊びに行くたびに思う。


そして、先週末にはイタリアの精神保健の講演があった。 イタリアには一度行ってみたい。イタリアの自由な風に吹かれて暮らす、精神を病む人と語りあいたいと思う。脱施設運動とは、支配・被支配の関係を脱して、フラットな新しい関係を築くことだ。家族会、社会学者、精神科医の代表が来ていたが、きっと当事者も対等な位置に立っていることだろう。CASA MATTAというグループホームの見せ方も上手かったし、当事者ものびのびと暮らしているようで、何よりサルデーニャの空は美しかった。それに比べて、日本では、社会的入院を強いられる患者は、上のような家に住んでもいい自由を奪われている。憲法に保障されている当たり前の自由やと思うんやけど。

日本の精神障害者の歴史は暗い。閉じ込め政策のきっかけは、日米安保体制だと俺は思う。
>>1964(昭和39年)年3 月24日、
17歳の精神障害者がアメリカ駐日大使のライ
シャワー氏を、ナイフで刺し重症を負わせる
事件が起きた。おりしも、会期中の国会でこ
の事件が取り上げられ、当時の総理大臣池田
隼人氏は『こういう患者の野放しは文明国と
して恥ずかしい。急いで取り締まれるように
対処せよ』と指示した。そこで、精神衛生審
議会で検討することになった。>>

引用元:我が国における精神障害者処遇の歴史的変遷-法制度を中心に-藤 野 ヤヨイ http://lib.n-seiryo.ac.jp/kiyo/dkiyo/05pdf/D0513.pdf

人を刺すのは確かに悪いことだ。しかし全ての精神障害者が人を刺すわけじゃないだろう、というよりも、実際のところ、健常者よりも犯罪率は低い。しかし精神障害を持つ人は必ず自傷他害の恐れがあって、アメリカ大使は神聖不可侵の神様なんだろうか。全くもって、ちゃんちゃら可笑しい。どっちも、ただの一人の人間に過ぎない。しかし、この一つの事件が、措置入院という強制入院を強化する法改正の流れを作ってしまう。社会防衛に関しては、ほぼ病的な反応をしてしまう政治家と国民性が、隔離政策に拍車をかけてしまった。そして、病状は寛解に至ったにも関わらず、鉄格子の閉鎖病棟に何十年も不必要な入院を強いられている患者が、何人いるのだろう。これは、精神障害という見えない疾患で人間を差別する、日本のアパルトヘイトじゃないかと、俺は思う。人権侵害も甚だしい。そして、この傾向が、日本の精神保健の質を完全に落としてしまった。なぜなら、社会復帰を前提としなければ、積極的に治療をする必要がなくなるからだ。そして、退院はできるが、退院先のない患者が、日本には7万人もいると推計されている。7万枚の、措置あるいは医療保護入院の申請が行われているということでもある。まったく素晴らしい『文明国』であることだ。

この状況は、日本における外国人の状況と酷似している。オーバーステイの外国人や難民たちへの入国管理局の全件収容主義にも似たような歴史がある。戦後のSCAP/GHQと日本政府との交渉において、日本社会を防衛するために、朝鮮人の共産主義のシンパや危険分子を、ひとり残らず強制送還するような議論もされた。朝鮮半島では内戦が起こっているのにも関わらず、である。難民を保護するという発想は60年経った今でもほとんどなく、入国管理局が一番恐れているのは、北朝鮮崩壊時に大量の難民が押し寄せてくることだと思われる。これこそ先進国として恥ずかしい態度じゃないのか。

はっきり言えば、日本は、社会防衛思想に囚われた強迫神経症国家だ。この国の歴史や思想が、真に人間の存在と向き合ったことなどないのだ。ましてや、人間の自由に向き合ったこともないのだろう。

シドニーに住んでいたとき、韓国人の親友がいた。デパートか、どこかで買い物をしていて、エスカレ―タ―に乗りながら、北朝鮮の話題になったことがある。あいつは、米粒を掴むみたいな仕草をしながら、「北朝鮮は、ほんとにほんとに小さな国なんだ」と語っていた。その国と敵対するために、スパルタのクソみたいな徴兵訓練を受けた話も、よくしていた。

今、あいつが、どういう気持ちで、そのことを語っていたのか。深く、静かに思い直している。 冷戦は終わっていない。兵士は、精神障害者は、難民たちは、ひとりの人間に立ち帰るために、今ここで闘っているのだ。

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